また今日も残業か…。月初の定例業務に、突発的な従業員トラブル。山積みのタスクを前に、ため息をつく労務担当者の方は少なくないでしょう。人手不足のチームでは、日々の業務に追われて、本来注力すべき戦略的な人事施策にまで手が回らないのが現実です。
そんな状況を打破する糸口として「生成AI」が注目されています。しかし「AIは難しそう」「自社の業務にどう使えるかわからない」と感じる方も多いはずです。
この記事では、未来の話ではなく「今日から使える」具体的な方法に絞って、人手不足の労務チームがAIを活用して業務を効率的に回していくための実践的なロードマップを提示します。具体的な業務活用例から、チームでの導入・定着のコツ、そして国内企業の成功事例まで、明日からのアクションにつながる情報をお届けします。
なぜ今、労務管理に生成AIなのか
これまでも業務効率化ツールは数多く存在しましたが、なぜ今、特に「生成AI」が人手不足の労務チームにとって強力な武器となるのでしょうか。その理由は、AIの、従来のツールとは一線を画す3つの能力にあります。
圧倒的な文章作成能力、要約能力
労務管理の業務は、社内通知、面談記録、規程の原案作成など、膨大な「書く」作業に満ちています。生成AIは、これらの文書の「たたき台」をわずか数秒で作成する能力に長けています。
たとえば、新しい在宅勤務規程をつくる場合を考えてみましょう。従来なら、他社の事例を調べて、法的な要件を確認して、ゼロから文章を組み立てるのに半日はかかっていました。しかし、AIを使えば5分で基本的な構成案ができあがります。
もちろん、そのまま使うことはできません。自社の実情に合わせた調整は必要です。でも、ゼロから文章を考える時間を劇的に削減できるので、担当者は内容のブラッシュアップという、より本質的な作業に集中できます。
専門知識のリサーチアシスタント
「最新の育児・介護休業法のポイントは?」
「他社ではテレワーク規程をどう定めている?」
こうした専門的な情報収集は、労務担当者の重要な業務です。しかしインターネットで検索しても、出てくるのは玉石混交の情報ばかり。信頼できる答えにたどり着くまでに、貴重な時間が奪われていきます。
生成AIは、こうした問いに対して、ネット上の膨大な情報源から要点を整理・要約して提示する、優秀なリサーチアシスタントとして機能します。これにより、法改正への迅速なキャッチアップや、信頼できる情報へのアクセスが容易になります。
ただし、AIの回答は必ず一次情報で確認することが重要です。厚生労働省のウェブサイトや、専門家の意見と照らし合わせる。この習慣をつければ、情報収集の効率は飛躍的に向上します。
業務の属人化解消とナレッジ共有
少人数のチームでは、特定の業務知識が「あの人しか知らない」という属人化の状態に陥りがちです。休暇や退職で、その人がいなくなると業務が回らない。そんな経験はありませんか?
生成AIを活用すれば、頻繁な問い合わせへの回答集(FAQ)や業務マニュアルを作成・整備することで、知識をチームの共有資産に変えることができます。
たとえば、「有給休暇の申請方法」といった定番の質問への回答をAIで作成し、社内ポータルに掲載する。これだけで、担当者への問い合わせは大幅に減ります。新メンバーへの教育コストも削減でき、24時間365日対応可能な「チームの知識データベース」として、組織全体の業務継続性を高めます。
重要なのは、AIが担当者を「置き換える」のではなく、その能力を「拡張する」という視点です。AIに定型業務や情報収集を任せることで、人間はより高度な判断や戦略的な思考、そして従業員とのコミュニケーションといった付加価値の高い業務に時間を使えるようになるのです。

明日から試せる!AI活用7つの実例
では、具体的にどのような業務に生成AIを活用できるのでしょうか。ここでは、多忙な労務担当者が明日からでも試せる7つの活用シーンを、具体的なプロンプト(AIへの指示文)例と共に紹介します。
就業規則・社内規程の作成と改訂
ゼロからの条文作成や法改正に伴う改訂作業は、特に骨の折れる業務です。生成AIを使えば、たたき台の作成時間を大幅に短縮できます。
あなたは優秀な社会保険労務士です。当社の就業規則に、在宅勤務に関する規定を追加したいです。服務規律、労働時間、通信費の負担、セキュリティ対策の観点を含んだ条文案を3つ作成してください。
◆人間の役割
AIが生成した案を基に、自社の実態や文化に合わせて内容を調整します。最終的には必ず社会保険労務士などの専門家によるリーガルチェックを受けることが不可欠です。
就業規則・社内規程の作成と改訂
制度変更の案内や健康診断の告知など、全社へ向けた通知文の作成もAIの得意分野です。分かりやすく、丁寧な文章を迅速に作成できます。
健康診断の申込方法がWebシステムに変更になります。全従業員向けの社内通知メールを作成してください。目的、変更点、申込手順、締切日を簡潔に、丁寧な言葉で記述してください。
◆人間の役割
生成された文章のトーンが自社のコミュニケーション文化に合っているかを確認し、微調整を加えます。
法改正の情報収集と要約
頻繁に行われる法改正のキャッチアップは、労務担当者の大きな負担です。AIは、官公庁が発表する複雑な資料を読み解き、要点をまとめるのに役立ちます。(DeepResearch機能を使用するとより多くの情報が手に入ります)
2025年4月施行の改正育児・介護休業法について、事業主が対応すべき事項を500字で要約してください。特に出生時育児休業と育児休業の分割取得に関する変更点を重点的に説明してください。
◆人間の役割
AIの回答はあくまで要約です。情報の正確性を担保するため、出典元(官公庁の一次情報など)を必ず確認し、具体的な対応策については専門家に相談することが重要です。
採用関連文書の作成
魅力的な求人票や、候補者の心に響くスカウトメールの作成は、採用成功の鍵を握ります。AIは、求める人物像に合わせた効果的な文章作成を支援します。
製造業の品質管理ポジションの求人票を作成します。必須スキルとしてISO9001の知識、歓迎スキルとして統計的品質管理の経験を盛り込み、当社の「品質第一」の文化が伝わるような魅力的な文章を作成してください。
◆人間の役割
AIが作成した案を基に、企業のブランドイメージや採用戦略に沿った最終的な表現に仕上げます。
社内問い合わせ対応の効率化(FAQ作成)
「有給休暇の申請方法は?」「慶弔見舞金の対象は?」といった定型的な質問への対応は、労務担当者の時間を奪う大きな要因です。これらの質問と回答をまとめたFAQを作成することで、大幅な工数削減が可能です。
労務担当者として、従業員から頻繁に受ける質問とその回答を10個リストアップしてください。テーマは有給休暇、慶弔休暇、残業代の計算方法についてです。Q&A形式で作成してください。
◆人間の役割
生成されたFAQの正確性をレビューし、社内イントラネットなど、全従業員がいつでもアクセスできる場所に公開します。
面談記録の要約と整理
従業員との1on1や退職者面談の議事録は、重要な情報資産です。しかし、多忙な中では記録を整理し、傾向を分析する時間はなかなか取れません。AIを使えば、長文の記録から要点を瞬時に抽出できます。
以下の従業員面談の議事録を要約してください。従業員の現状の課題、キャリアに関する希望、会社への要望の3つの観点で整理し、箇条書きでまとめてください。
◆人間の役割
個人情報保護の観点から、入力する情報には細心の注意を払います。AIによる要約は、あくまで組織課題の発見や改善策検討の「きっかけ」として活用し、個々の従業員への深い理解は人間が担います。
研修コンテンツの骨子作成
新任管理職向けの労務研修や、全社的なコンプライアンス研修など、教育コンテンツの企画・作成にもAIは役立ちます。
新任管理職向けの「労働時間管理」に関する研修プログラムの構成案を作成してください。法定労働時間、36協定、残業代の正しい計算方法、管理監督者の役割の4つのセクションを含めてください。
◆人間の役割
AIが作成した骨子に、自社の事例や具体的なケーススタディを肉付けし、研修内容をより実践的なものに仕上げます。
チームでAIを使いこなす3ステップ
優れたツールも、チームで使いこなせなければ意味がありません。ここでは、AIを個人の道具から「チームの武器」へと昇華させるための、現実的な3つのステップを紹介します。
ステップ1:小さく始める(スモールスタート)
AI導入でよくある失敗は、最初から完璧を目指し、全社的に展開しようとすることです。まずは労務チーム内で、限定的なテーマから試す「スモールスタート」を徹底しましょう。具体的には、前章で紹介した7つの活用例の中から、「社内通知文の作成」や「FAQの草案作成」など、インパクトが大きく、かつリスクの低い業務を1〜2つ選びます。
たとえば、まずは健康診断の案内文をAIで作ってみる。うまくいったら、次は有給休暇のFAQを作る。この小さな成功体験の積み重ねが、チーム全体の心理的なハードルを下げ、次のステップへの弾みとなります。
ステップ2:シンプルな「共通ルール」をつくる
AIの利用には、情報漏洩や誤情報といったリスクが伴います。チームが安心してAIを活用するためには、複雑な規程ではなく、誰もが守れるシンプルな共通ルールを定めることが不可欠です。
ルール1:入力禁止情報の明確化
- 従業員の氏名、給与、評価といった個人情報
- 未公開の経営情報などの機密情報
- これらは絶対にパブリックな生成AIに入力しない
ルール2:生成物は「たたき台」と心得る
- AIが生成した文章、特に就業規則や公式通知などは、あくまで「たたき台」
- 必ず人間の目で正確性やニュアンスを確認する
- AIが事実と異なる情報を生成する「ハルシネーション」のリスクを理解する
ルール3:最終判断は「人」が行う
- AIは業務を支援するツールであり、採用の合否、人事評価、懲戒処分といった最終的な意思決定は、必ず人間が行う
この3つのルールをチームで共有するだけで、リスクの大部分をコントロールできます。難しく考える必要はありません。
ステップ3:ノウハウを「共有資産」にする
AI活用の成否を分けるのは、個人のスキルではなく、チームとしての学習速度です。うまくいったプロンプトや便利な使い方を、個人のものにせず、チームの「共有資産」にする仕組みをつくりましょう。具体的には、TeamsやSlackの専用チャンネル、あるいはシンプルな共有ドキュメント上に「プロンプト共有ライブラリ」を作成します。
たとえば、ある担当者が「退職者面談の要約に最適なプロンプト」を発見したら、そのプロンプトをライブラリに投稿し、誰もが使えるようにします。別の担当者が「求人票作成の効果的なプロンプト」を見つけたら、それも共有する。
これにより、業務の標準化が進み、チーム全体のAI活用レベルが底上げされます。個々の発見がチームの力になる、この好循環を生み出すことが、AIを真の「武器」にする鍵です。

国内企業の成功事例に学ぶ
「理屈は分かったが、本当に成果は出るのか?」そう考える方も多いでしょう。ここでは、実際に国内企業がAIを活用して労務・人事業務を改善した具体的な事例を紹介します。
事例1:社内問い合わせ対応の劇的な効率化
多くの企業で、人事・労務部門は日々同じような問い合わせに時間を費やしています。この「高頻度で定型的な業務」は、AIチャットボット導入による効果が最も出やすい領域です。
ウェルシア薬局の場合
- AIチャットボットの導入により、人事部門への問い合わせ件数を70%削減
- 月間で187.5時間もの対応工数を削減
パーソルキャリアの場合
- 社内問い合わせ対応にAIを導入
- 年間で約5,200時間もの工数削減を実現
パナソニック コネクトの場合
- 社内向けAIアシスタントが導入後わずか3か月で約26万回も利用
- 従業員の自己解決を促進
これらの事例は、AIに定型的な一次対応を任せることで、人事担当者がより専門的な相談や企画業務に集中できるようになった好例です。
事例2:採用・評価プロセスの時間短縮と質向上
採用や評価プロセスにおいても、AIは時間のかかる初期段階の業務を担うことで、大きな効果を発揮します。
ソフトバンクの場合
- 新卒採用のエントリーシート評価にAIを活用
- 年間約500時間(75%)もの作業時間を削減
- 生まれた時間を候補者とのより深いコミュニケーションに充当
松屋フーズホールディングスの場合
- 店長昇格試験にAI面接サービスを導入
- 評価基準を統一し、客観的で公平な評価を実現
- 同時に人事部の負担軽減にも成功
AIがスクリーニングや一次評価を担い、人間は最終判断や候補者との関係構築といった、より高度な役割に専念する。このハイブリッドなアプローチが成功の鍵です。
事例3:法改正対応の迅速化とリスク低減
労務管理における最大のリスクの一つが、法改正への対応漏れです。この専門的でミスの許されない領域でも、特化型AIサービスが活躍しています。
社内規程管理サービス「KiteRa」の活用
- 法改正があった際に、自社の就業規則のどの条文が影響を受けるかをAIが自動で検知
- 改定案まで提案する機能を提供
労務相談AI「HRbase」の活用
- 専門家が監修した信頼性の高い最新の法令情報のみを学習データとして使用
- 労務担当者が正確な情報に迅速にアクセスできる環境を提供
これらのサービスは、手作業による情報収集や条文チェックといった煩雑なプロセスを自動化し、コンプライアンス遵守の確度を飛躍的に高めます。
まとめ
人手不足という厳しい現実の中で、労務チームが直面する課題は複雑化する一方です。しかし、生成AIという新しいテクノロジーは、その状況を打開する強力な「相棒」となり得ます。
本記事で見てきたように、AIは労務担当者を置き換えるものではなく、その能力を拡張する存在です。文書作成や情報収集といった定型業務をAIに任せることで、担当者は従業員一人ひとりと向き合い、より良い職場環境を構築するといった、本来あるべき戦略的な業務に時間とエネルギーを注ぐことができます。
成功への道筋は、決して複雑ではありません。「小さく始める」「シンプルなルールを作る」「ノウハウを共有する」。この3つのステップを着実に進めることで、日々の業務負担を軽減し、あなたのチームをより創造的で生産性の高い組織へと変えていく原動力になります。
まずは明日、一つの業務でAIを試してみませんか。その小さな一歩が、大きな変化への第一歩となるはずです。
